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その後、私の妊娠が発覚し、仕事をやめ、結婚&同居&出産&育児と
何だか今までとはまったく違うリズムの生活に突入するのでした。

外にしかいなかったような生活から一転
内側にこもらざるおえない生活も落ち着きを見せ始めた頃。

本当に知りたかった色の奥義を学ぶ時がやってきたのでした。

それは祝福されるような素敵なプロセスではなく
息子の入院・旦那の失業・私の流産など
あまり経験したくないような流れが一気に押し寄せてきた時に
その道へと一歩足を進めていくのでした。


そこで出会ったのがオーラソーマ。

そこから色の学びのみならず私の人生を変えていくような
壮大な変容が始まったのでした。


パンドラの箱に唯一残された希望を手に入れる鍵が
もしかしたらオーラソーマとの出会いだったのかもしれません。。。
2010/09/17(金) 09:20 色の話 PERMALINK COM(0)
その後、1年ぐらいたったころ、カラーの学校に通っていた講師から
転職の誘いがありました。
私が学んだ色をもっと活かせる様な場所での仕事場でした。

カーテンの仕事は楽しかったのですが、とてもハードだったのと
せっかく学んだ色の学びを最大限活かせているか?
というと、20~30%くらいだったのかもしれません。

そこでその話を受け入れ、包財を扱う会社に転職をしたのでした。
私がその会社で求められていたのは企画力と営業力でした。
私のカラーの学校での作品を高く評価していただけたので
通常の営業をやりながら企画の仕事もしていったのでした。

そこでは、外食や中食関係のクライアントさん向けに
メニューのデザインやメニューの開発
パッケージやディスプレィの提案などを幅広い
仕事の内容が展開されておりました。

それこそ今まで学んできたことを社会の中で活かす
すべての要素を含んでいる会社でもありました。

それはそれは楽しかったのですが
それはそれは大変でもありました。

オールマイティーに幅広い分野を満遍なくこなさなくてはいけないので
クリエイティブな仕事のみならず、事務的なことや営業的なこと
その他もろもろとこなしているうちに、擦り切れ疲れ果て・・・。
色がどうのこうの・・・。なんていう感性は薄らいでいくのでした。。。

私が求めている色を仕事にするって、こういうことだったんだろうか・・・??

そんな疑問を掻き消しながら仕事をしていたように思います。
2010/09/16(木) 15:18 色の話 PERMALINK COM(0)
その後、色を活かせる仕事をしたいと思ってはいたものの
実際にはなかなか私がやりたいと思うような仕事にはめぐり合えませんでした。
そして、なんとなく色を提案できる仕事として選んだのがオーダーカーテンの
コーディネーターという仕事でした。ま、いわゆる営業です。

様々なメーカーのカーテン生地の中から予算と部屋の雰囲気やその方の好み
などを加味してカーテンの提案などもすることが出来る仕事でもあったので
様々な現場やお客様との出会いはとっても刺激的で楽しいものでした。

特に新築の家の殺風景で味気の無い部屋がカーテンを掛けたとたんに
命が吹き込まれ、鮮やかな生命が宿るような感覚はとても素晴らしいものでした。
提案した生地がとても気に入って貰えると、私もとってもうれしかったのを思い出します。

そして、何より素晴らしかったのはそこで働いていたメンバーとの出会いでした。
その頃の仲間とは今でも頻繁に付き合いがあり今後も長く続くであろうすばらしい仲間です。

そういえば、その頃今の旦那との出会いもありました。
新しい家に引っ越したけど部屋にカーテンが無いのでカーテンを選んで欲しい。
という旦那の誘いに引っかかったのがそもそもの始まりでした。

今思えばその家に数年後に一緒に住むことになるとも思わず、
なんとなく適当に選んだカーテンでした。
もっと違うカーテンにすればよかったなぁ~。と今は思うのですが・・・。
その当時選んだ色がペールグリーンの無地。
グリーンは調和の色でもあり、空間・ハートのエリアの色でもあります。
くつろぐようなスペースにはとてもいい色です。

その当時無意識に旦那に合った色を選んでいたのだと思うのですが
結婚後もその色がお互いのヒットカラーになり、、ソファーやラグまで
ペールグリーンで統一していったのでございました☆

義両親との同居というストレスフルな環境下にいた私には、
由一くつろげる部屋のスペースがペールグリーンで統一されていたのは
とても癒され、リフレッシュできるベストカラーの部屋でもありました。
今にしてみればペールグリーンはナイスチョイスの色だったのですね・・・♪

さて、そのカーテンは健在で今もなおその部屋にかかっておりますが
その部屋は息子の部屋になっております。

ちょっと落ち着きの無い息子にはこれまたいいカラーなのかもしれませんね☆
2010/09/16(木) 15:17 色の話 PERMALINK COM(0)
失業中に学んだカラーの世界はとっても楽しく充実したひと時でした。
私が選んだスクールの講師はとてもストイックにカラーの学びを
教えてくれる方でしたので、社会でも通用するような厳しいレベルでの
講義が中心でした。

何よりも楽しかったのは理論を学んだ後に
その理論に基づいて自分の作品をプレゼンする課題を作成しているときでした。
楽しくて楽しくて、徹夜をしながら作品を完成させていったこともありました。

この時期はグラフィックの専門学校に行っていたときとは違う
もっと大きな視点で色の世界を学び、表現することが出来るようになっていました。
社会で、学んだ様々な経験が大きく花開こうとしていた瞬間でした。

そこで学んだ色を通しての学びは今のMANDALAの作成の基礎となっております。
特に、そこで表現方法を学ぶために習ったグラフィックソフトの学びがあってこそ
今があるのだと思います。

そして、今、改めてその頃を振り返って印象に残っているのは
様々な生徒の作品を見てきた講師が言った言葉です。

「とても不思議なんですけど最近の生徒さんの作品には
       ターコイズを使う人がとても多くなってるんですよね」

その当時は、へ~~。。そうなんだ。
なんて思っておりましたが、今思えばターコイズはみずがめ座の時代を表す色。
これから訪れるであろう色の波動をその頃色を学んでいたメンバーは
無意識にキャッチしながらその色を表現していたのかもしれませんね~。。
色の世界はおもしろい!!


さて、その頃の私は、実はオーラソーマとの出会いを果たしておりました。(本で)
とても内容に興味はあったものの、そこから先へ進むのは結婚してからだなぁ~。
と漠然と思いながら、そのときは、後にとても重要になるお宝の種をしまいこんだのでした。

2010/09/16(木) 08:03 色の話 PERMALINK COM(0)
さて、大人になって色を改めて違う角度から学んでみたい!!
と思ったのは販売の仕事をしたときでした。
子供服のお店だったというこもあり、店にはそれこそ
絵の具をひっくり返したような様々な色のお洋服が
溢れておりました♪

しかし・・・。
私が就職したときにそのお店で感じたイメージは統一感がない。
せっかくの商品が全然素敵に見えないなぁ~・・・。
ということ。


でも、それはお店によって違っていて同じ商品であっても
見せ方が違うだけで全然違うものになるのだということも知りました。

その後ひとつのちっちゃなお店を任される店長職に就き
右も左も分からない中、無我夢中で仕事をこなしていたのですが
目の前の事にただただ精一杯で
店の中身はあっという間にぐっちゃぐっちゃになったのでございました・・・。

マネージャーから指摘されるのは当たり前のように反省したのですが
以前から来ていただいている常連さんから

「このお店はずいぶん汚くなったわねぇ~・・・」

と言われたときには

がっび~~~~~ん・・・

と落ち込んだものでした。


そこから色々試行錯誤はしたものの。
やはりそれどころではなく、店の売り上げや店の管理を
するだけで四苦八苦しておりました。


そんな最中、会社での研修があり、色についての
講習があったのでした。

それは店作りのショーイングを学ぶ以前の基本。
色とは何か?
ということから学ぶのでした。
それこそ、色相環からどういう配色をすると
どういうイメージになるのかというような
カラーイメージのプレゼンテーションまで
色の基本を大まかにざっくりと学ぶのでした。

その研修は今でも忘れられないほど魅力的で楽しくて
もっとじっくり学びたい!!
なんて思ってしまうほどなのでした♪

その後、その学びを活かして徐々に店が生まれ変わってくるのでした。
色やイメージで売り場を分けたり、ショーイングに工夫を凝らしたり・・。
何よりも狭い店に様々な種類のアイテムと色が混在するので
本当に店作りには骨を折りました。

しかし、その成果が徐々に現れ始め
死筋が売れ筋に変わったり・・・。
ショーイングごとまるまる売れたり・・・。
ということが起こり始め。
接客もとても楽しくなったのでございました♪

色をきちんとあるべきところ
輝くべき場所に配置してあげると
色は輝きだすんだ====☆☆☆

という事を実感したのでした☆


その後、店が無くなり、退職をした後。
さて、何をやろうかしら??


と思ったときにふつふつとくすぶっていた
私が一番やりたかった色を探求する勉強をするために
スクールに通い始めたのでした☆
2010/09/15(水) 14:29 色の話 PERMALINK COM(0)
その後の私はというと、特に取り得も無く
可もなく不可もなく、過ごしておりましたが
絵では賞を取ったり、図工の時間がとっても好きな
インドアな子供でありました。

その後私の方向性を決める決定打となったのは
高校時代の美術の授業にあったように思います。

絵を描くためのシステマティックな技法や色の理論などに
ほんのり触れた授業内容は、鬱積していた無彩色の毎日から
解き放たれるとても魅力的な時間でもありました。

その他の授業では、ノートや教科書の隙間に
びっしりと私のわけのわからない絵の世界が
繰り広げられておりました。

そして、グラフィックの専門学校へ進路を決め
本格的に美術の世界へと足を踏み入れたのでございました。

しかし、そこで学んだものは雰囲気的なものだけだったのかもしれません(笑
色の要素の学びはとても希薄で広く浅くグラフィックの勉強を
していたように思います。

その中で創造性を養うという要素は友人関係の中から得る世界観や
都会の中のどちらかというとマニアックな世界から見る独特な雰囲気だったりと
広く浅く様々な感性を養うような時期だったのかもしれません。


その頃の私は自分のキャパの小ささや、
自分の小さな殻を破れないような感覚から
抜け出せずにいたのですが、ある授業の課題で
ギリシャ神話のパンドラの箱をモチーフにした立体作品を作成したときに
私の中での何かが開かれていくのを感じたことがあります。


しかし、それは今思えはパンドラの箱の話のとおりに
開けたらすぐに閉まってしまい、中には希望が残された。
※パンドラの箱wiki

というようなプロセスがここから始まっていったのかもしれません。
2010/09/15(水) 10:48 色の話 PERMALINK COM(0)
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