その後の私はというと、特に取り得も無く
可もなく不可もなく、過ごしておりましたが
絵では賞を取ったり、図工の時間がとっても好きな
インドアな子供でありました。
その後私の方向性を決める決定打となったのは
高校時代の美術の授業にあったように思います。
絵を描くためのシステマティックな技法や色の理論などに
ほんのり触れた授業内容は、鬱積していた無彩色の毎日から
解き放たれるとても魅力的な時間でもありました。
その他の授業では、ノートや教科書の隙間に
びっしりと私のわけのわからない絵の世界が
繰り広げられておりました。
そして、グラフィックの専門学校へ進路を決め
本格的に美術の世界へと足を踏み入れたのでございました。
しかし、そこで学んだものは雰囲気的なものだけだったのかもしれません(笑
色の要素の学びはとても希薄で広く浅くグラフィックの勉強を
していたように思います。
その中で創造性を養うという要素は友人関係の中から得る世界観や
都会の中のどちらかというとマニアックな世界から見る独特な雰囲気だったりと
広く浅く様々な感性を養うような時期だったのかもしれません。
その頃の私は自分のキャパの小ささや、
自分の小さな殻を破れないような感覚から
抜け出せずにいたのですが、ある授業の課題で
ギリシャ神話のパンドラの箱をモチーフにした立体作品を作成したときに
私の中での何かが開かれていくのを感じたことがあります。
しかし、それは今思えはパンドラの箱の話のとおりに
開けたらすぐに閉まってしまい、中には希望が残された。
※パンドラの箱wikiというようなプロセスがここから始まっていったのかもしれません。
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